安倍元総理が兇弾に倒れました。
特に個人的に応援とかをしていたわけではないですが、長くに渡り国の舵取りをされてきた方で一国民として、驚いたと同時に、本当に残念な思いです。
そんな中、とある新聞の川柳が炎上し話題になってます。
記事になったのが、ほぼ全て安倍元総理を亡くなられてなお批判する内容だったからです。
川柳はそもそも世の中の風刺を描くので、ある程度は仕方ないにしても、これはもはや故人への冒涜だろうと個人的に思います。
国のために尽力してきたのに、最後がこういう形で、亡くなられてなおこのような批判を浴びる。そんな国であるのが非常に残念ですが、死を惜しむ声も多いですし、この川柳は炎上しているくらいですから、この川柳に同調する人は少ないのだと思います。
そもそも、在任期間が歴代総理で最長ということで、賛成派も多くないとここまではなりません。つまり、賛否両論が激しかったということになるかもしれません。
その賛否両論の中で、今回は批判の方が目立つことになってしまいましたが、その「批判」について述べてみます。
前回のブログNo.93 「なぜ争いが起きるのか?」で書いたことと近いですが、批判の元には、見えてる部分が違うこと(一部しか見えてない)や価値観の違いもあるのではないかと思います。
そして、批判する人には、その人にしかわからない事情もあるのだと思います。
(多分日々の生活の何かで苦しいことがあって、それに対してやり場のない怒りをぶつける先が政府にしかない場合もあるでしょう)
ただそれは安倍元総理も同じで、あの立場でないとわからないことはたくさんあるはずです。色々思慮した上で動いてることだってあります。
そこに思いが及ばずの批判だけというのは、どうなのかなと個人的には思います。
そもそも単純に批判をするだけでは何も変わらないことがほとんどです、自分でも何か動かないといけない。でもそういう人に限って何もしないというか、自分に変えるべきところがあっても変わろうともしない。
そして、批判をしている人は、結局どこに行っても批判を繰り返します。
なので、多分総理大臣が変わっても、第一政党が変わっても一緒。「国が悪い、行政が悪い」 と延々言ってるだけです。
ただ逆に、批判されることから学ぶことはたくさんあるので、批判されることは悪いことばかりではないです。
自分も立場上、批判することはほとんどないのですが、批判されることはよくあります。
その時は大変だけど、後から振り返って学ぶことも多かったなと思いますし、成長に繋がってると思うこともあります。
皆さんもぜひ批判する側ではなく、批判される側を目指してください。
最後にサッカー日本代表の、岡田武史元監督のこのコメントを記載します
「成長する時は、やっぱり困難や失敗の後なんですよ。批判は成長させてくれるんですよ。でも面白いことに、批判する人は成長しない。だから森保(その当時日本代表監督)に言ったんだ。自分の成長を投げうってまで、その人は自分を成長させてくれる、ありがたいことなんだと」