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2018.02.11|No.25 京都・宇治徳洲会病院時代

自分は初期研修含めて8年間(〜2013年3月)、京都の宇治徳洲会病院で働いてきました。
今回はその時代について書こうと思います。

そもそも「医師は目の前で困っている患者さんを助けることが出来てこそ」という思いがあり、まずは救急をしっかりと勉強しようと思っていました。

そこで、救急車台数も多い宇治徳洲会病院に入り救急を学びましたが、特に最初の2年間はものすごく働きました。4日に1回全く寝れない当直がまわってきて、当直明けも働くという今のご時世だとありえない過酷な環境でした。丸1日休みは月に1回ある程度くらいで、毎月その1日を楽しみに生きていたと言っても過言ではありませんでした笑(ただ精神的にはとても充実していました。)

今の自分があるのは間違いなく宇治徳洲会病院時代の厳しい修行があったからだと思います。
知識や技術を身につけることが出来たのも良かったですが
・救急患者さんや紹介患者さんを絶対断らないマインド
・医療はサービスであり患者さん視点に立って考えることの重要性
・教育は投資であり牽引力
・所属している病院は、「家」みたいなものであり病院のために働くことの重要性

などいろんなことを学びました。これは今の自分に間違いなく生きていると思います。

医師3年目の時に、上司2人と一緒に救急総合診療科という部門を立ち上げることとなり、救急だけでなく総合内科の病棟管理もするようになりました。ここではほぼ全ての内科疾患を診る経験が出来、今でも大きく生きています。

幸いにも、自分に続いてくれる後進もいて僕が卒業する頃には全部で10人を超える大所帯となり、病院に欠かせない部門となりました。

医師5年目の時には、初代チーフレジデント(若手医師のまとめ役)になりましたが、結果的にあまりたいしたことが何もできず、その時の反省も生かして現在レベルの高い研修医教育を提供しようと頑張っています。

最近は忙しくてなかなか行けていませんが、福山に帰ってきてからも定期的に宇治徳洲会病院には行っておりましたし、その時のスタッフや後輩達とは今でも仲良くしています。同じマインドを持った人は一緒に働きやすいですし、そのうち宇治徳洲会病院関係者がうちの病院に就職してくれることを願っています。


写真(左もしくは上):当時の研修医達と。全員岡山大学医学部卒です。
写真(右もしくは下):救急総合診療科の黎明期を支えた後輩医師達と

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